現在の日本の政界において、重要な役割を担う政治家として知られる高市早苗さん。
その毅然とした立ち居振る舞いや、ブレない政治信条は多くの人々の関心を集めています。
その生い立ちや実家の環境についても様々な憶測が飛び交い、「高市早苗さんの実家は裕福ではないか」「お金持ちのお嬢様育ちなのではないか」という噂がインターネット上で囁かれることがあります。
果たして、高市早苗さんの実家は本当に裕福な家庭だったのでしょうか。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
高市早苗の実家はお金持ち?
高市早苗さんですが、ネット上で
「実家は裕福なのでは?」
との声が広がっています。
高市早苗さんの実家をインターネット検索してみると、このように「高市早苗 実家 お金持ち」というキーワードまで出てきます。

これは、高市早苗さんの実家について「お金持ち」というイメージを持つ方が多いということでしょう!
しかし、高市早苗さん自身、政治家として活動する中で
「決して裕福ではない一般家庭で育った」
と語っています。
学費も親からの援助なしで自分で稼いだというエピソードがあり、神戸大学へは奈良県の実家から往復6時間かけて通学していたそうです。
この事実からも、経済的に余裕のある家庭ではなかったことがわかります。
つまり、高市早苗さんの実家は「お金持ち」というわけではなく、両親が真面目に働き、子どもたちに教育を与えることを大切にした、堅実な中流家庭だったと言えるでしょう。
今回の記事では、高市早苗さんの実家が「裕福」と言われる理由を3つの視点から検証し、ご家族とのエピソードなども詳しくご紹介していきます!
ここで高市早苗さんのプロフィールを見ていきましょう。
- 生年月日:1961年(昭和36年)3月7日
- 年齢:64歳(2025年11月現在)
- 出身地:奈良県奈良市
- 血液型:非公開
- 現職:内閣総理大臣、自由民主党総裁、衆議院議員(10期)
高市早苗さんは、1984年に神戸大学を卒業した後、松下政経塾に入塾(第5期生)。
松下幸之助氏の教えに感銘を受け、政治家を志すようになりました。
この経験が後の政治活動に大きく影響したと言われています。
政治家としてのキャリアは、1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙で初当選したことから始まります。
当時32歳の若さでした。
以降、衆議院議員として10期連続で当選を果たし、総務大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、宇宙政策)、経済安全保障担当大臣など、数々の重要ポストを歴任してきました。
そして2025年10月、自由民主党総裁選挙に立候補し、日本初の女性総裁・女性総理大臣となりました。
サッチャー元イギリス首相を私淑し、「日本版鉄の女」とも呼ばれています。
プライベートでは、2004年に元衆議院議員の山本拓さんと結婚しましたが、2017年に一度離婚し、2021年に再婚しています。
結婚のきっかけは、高市早苗さんの弟・知嗣さんが山本拓さんの事務所で秘書として働いていたことだったそうです。
政治とは全く違う顔を持つ、多才な方なんですね。
では、一体なぜ、高市早苗さんの実家はお金持ちと言われているのでしょうか?
理由について、次で詳しく見ていきましょう。
高市早苗の実家が裕福と言われる3つの理由!
①:名門高校・名門大学への進学
②:両親が安定した職業に就いていた
③:政治家としての現在の地位と成功
これらの理由を詳しく検証してみましょう。
理由①:名門高校・名門大学への進学

高市早苗さんは奈良県立畝傍高等学校という県内屈指の進学校を卒業しています。
畝傍高校は、明治29年(1896年)創立の歴史ある学校で、県内トップクラスの偏差値を誇る名門校です。
このような進学校に入学できるということは、幼少期から質の高い教育を受けていた可能性が高いんですよね。
神戸大学経営学部に進学しましたが、これらの大学に合格できる学力を身につけるためには、学習塾や予備校に通うなど、それなりの教育投資が必要だったと考えられます。

ただし、これは推測の域を出ません。
高市早苗さんが具体的にどのような習い事をしていたか、学習塾に通っていたかどうかなどの詳細な情報は公開されていないためです。
むしろ、本人が「学費は親からの援助なしで稼いだ」と話していることを考えると、家庭では教育にはお金をかけつつも、大学以降は自立を促す姿勢だったのかもしれません。
また、松下政経塾に入塾したことも注目すべき点です。
松下政経塾は原則として学費無料ですが、生活費は支給されるものの、入塾すること自体が狭き門です。

名門校への進学実績があることで「裕福な家庭だったのでは」という印象を持たれやすいのですが、実際には親の教育への熱意と本人の努力の賜物だったと言えるでしょう。
経済的に余裕があったというよりも、限られた予算の中で教育を最優先にした家庭だったのかもしれませんね。
- 奈良県立畝傍高校(公立):授業料はほぼ無料(当時)
- 神戸大学(国立):年間授業料 約50万円前後(当時)
- 松下政経塾:入塾金・授業料は無料、生活費支給あり
- 米国留学:Congressional Fellowプログラム(奨学金支給あり)
むしろ、公立校や奨学金制度を上手に活用しながら、最高レベルの教育を受けられたと言えるでしょう。
理由②:両親が安定した職業に就いていた

高市早苗さんの両親は、どちらも安定した職業に就いていました。
父親の大休さんは豊田自動織機グループの設備機械メーカー・東久で営業職として働き、後に大阪営業所長まで昇進しています。
昭和の時代、大企業のサラリーマンと公務員という組み合わせは、まさに「安定」の象徴でした。
特に豊田グループという大手企業に勤めていたことは、周囲からは「良い会社に勤めている」という印象を与えたでしょう。
警察官という公務員も、社会的信用の高い職業です。

両親とも真面目に働き、父親は顧客から相談を受けると真夜中であろうが日曜日であろうが遠方まで車で駆け付けるほど仕事熱心だったそうです。
母親も夜遅くまで家事をこなし、朝は誰よりも早く職場に着いて同僚の机を拭いて花を活けるという、職業人としてのプライドを持った方だったと高市早苗さんは語っています。
特に、父親が営業所長というポジションまで昇進したことは、管理職手当などで収入が増えたことを意味します。
一般的な共働き家庭よりは経済的に余裕があったかもしれません。

共働き家庭というと、現代では当たり前ですが、昭和30年代後半から40年代にかけては、まだ専業主婦が多かった時代。
その中で、母親が警察官として働き続けていたということは、家計にとって大きなプラスだったはずです。
ただし、高市早苗さんが大学進学の際にはアルバイトをされていたことからも分かるように、潤沢な学費が用意されていたわけではなかったようです。
つまり、親の収入だけで全てを賄うのではなく、本人の努力と工夫も必要だったということ。
これは決して裕福とは言えない状況だったのかもしれません。

高市早苗さんご自身も、ご両親のことを
「平凡な昭和ヒトケタ生まれの日本人」
と表現されています。
戦中戦後の混乱期を生き抜き、苦学しながらも家庭を築き、必死で働き続けた世代だったそうです。
ですから、「裕福」というよりは「堅実」という言葉の方が適切かもしれません。
無駄遣いをせず、コツコツと貯蓄し、子どもの将来のために投資する。
そんな昭和の中流家庭の典型だったのではないでしょうか。
理由③:政治家としての現在の地位と成功
高市早苗さんが「裕福な家庭出身」というイメージを持たれる最も大きな理由は、現在の社会的地位の高さにあるのかもしれません。
日本初の女性総理大臣となり、自民党総裁という最高のポジションに就いている姿を見ると、「子供の頃から恵まれた環境にいたのでは」と考えてしまう人も多いでしょう。
しかし、これは完全に誤解です。
高市早苗さんは非世襲の政治家であり、政治家一族の出身ではありません。
父親はサラリーマン、母親は警察官という「政治とは縁遠い家庭環境」で育ったと本人も語っています。

現在の成功は、家庭環境の恵まれさによるものではなく、本人の努力と能力によって築き上げたものです。
初めての選挙では落選を経験し、2度目の挑戦で32歳という若さで初当選しました。
父親の退職金を選挙資金に充てるという家族の支援はありましたが、それは経済的余裕からではなく、娘の夢を応援したいという親心からでした。
政治家として10期連続当選を果たし、数々の大臣職を歴任してきた実績は、すべて本人の実力によるものです。
むしろ、苦労を重ねながら一歩一歩階段を上ってきた努力家というのが、高市早苗さんの真の姿です。
共働きの両親のもと、6歳下の弟の世話をしながら育ち、友達と遊ぶ時間もなかったという子供時代のエピソードからも、決して楽な環境ではなかったことがわかります。
「裕福な家庭出身だから成功した」のではなく、「堅実な家庭で育ち、勤勉さを身につけたから成功した」というのが正しい理解でしょう。
結論として、高市早苗さんの実家が「裕福な家庭」と言われる理由は、名門校への進学実績、両親の安定した職業、そして現在の社会的地位の高さという3つの要因が重なって生まれた誤解だと言えます。
実際には、堅実で勤勉な中流家庭で育った、努力の人なのです。
高市早苗と家族のエピソードを紹介!
ご家族のエピソードを紹介します!
厳しくも温かい両親との関係性!

父親の大休さんとのエピソードで、特に印象的なのが、高市早苗さんが32歳で2度目の衆議院議員選挙に挑戦する時のことです。
奈良県では5名の現職議員が強固な地盤を誇っており、無所属の高市早苗さんが当選できる可能性は皆無と言われていました。
「二度目の失敗は政治生命を断つことになる」と後援者からも引き止められ、公示日を目前に苦悩していた時のこと。
家族が寝静まった後に帰宅すると、キッチンのテーブルの上に父からの手紙が置いてありました。
「俺の退職金は、選挙費用の足しに全部使ってよい。 イライラせずにやれ。 自信を持って!握手、お辞儀を忘れるな。 気楽にやれ」
この手紙を抱き締めて泣きながら、出馬表明を行なう決心をしたそうです。
直進型の娘に手を焼き、常に堅実に生きることを求め続けていた父親が、最も苦しい決断の瞬間にそっと背中を押してくれたんですね。

この選挙で初当選を果たした高市早苗さん。
母親の和子さんとの関係も、厳しくも愛情深いものでした。
高市早苗さんに、
「真っ赤なバラのようであれ」
と教えたというエピソードは有名ですね。
「華やかさを失わず、しかし棘を持ち、間違ったことには毅然とした態度を取りなさい」という教えは、まさに今の高市早苗さんの政治姿勢そのものと言えるでしょう。

また、高市早苗さんが20代で大学教員として働き始めた頃、珍しく母親から電話があったそうです。
「偶然、貴女が討論番組に出ているのを観たけれど、どんなに考え方が違う方と議論しても、相手を追い詰めないこと。 必ず逃げ道を残して、相手の面子を潰さないように女性らしい気遣いをしなさい」
と厳しい口調で諭されました。
ある時、全く身に覚えのないことで中傷記事を書こうとする週刊誌の記者が実家まで押しかけてきたことがありました。
あまりに一方的で失礼なことを言う記者に腹を立てた母親が玄関口で追い返してしまったそうなのですが、父親が母親を強く叱ったそうです。
「記者さんだって仕事で来ているのだ。 暑い中を東京から来られたのだから、冷たいおしぼりとお茶を出して休んでいただくのが礼儀だろう」
こうしたエピソードからは、ご両親の人間性の高さが伝わってきますよね。

過去には「今では高齢になった両親ですが、たまに私の顔を見ると口にする言葉は『初心を忘れるな』です」と高市早苗さん自身が語っています。
日々の多用に振り回されて他人様への対応が雑になっていると自覚している時には、大いに反省させられたとのこと。
残念ながら、父親の大休さんは79歳で、母親の和子さんは86歳で亡くなられています。
両親が高市早苗さんの総理大臣就任を見届けることはできませんでしたが、天国からきっと喜んでいることでしょう。
この一文からも、両親への深い感謝と尊敬の念が感じられますね。
高市早苗はヤングケアラーで弟の世話をしていた!

弟さんが生まれたのは、高市早苗さんが小学校1年生の時でした。
ご両親が共働きだったため、学校から帰ってくると、高市早苗さんが弟さんのお世話をするのが日課だったそうです。
おむつ替え、ミルクを飲ませること、抱っこしてあやすこと。
まだ小学生の女の子が、これだけの育児をこなしていたんですね。
「友達と遊ぶ時間もなく、弟の面倒を見ていた」
と高市早苗さんご自身が語っていらっしゃいます。

今で言う「ヤングケアラー」そのものだったと指摘する専門家もいます。
幼い頃から「誰かのために尽くす」ことを学んだ高市早苗さん。
政治家として国民のために働く姿勢の原点は、この弟さんのお世話にあったのかもしれませんね。
弟さんの知嗣さんは、現在高市早苗さん夫・山本拓さんの事務所の秘書として働いていらっしゃいます。
幼い頃に姉に世話をしてもらった弟が、今度は姉を支える立場になったというわけですね。
お二人の絆の深さが伝わってきます。

ある対談で高市早苗さんは、「弟が生まれてから、自分の時間がなくなった」と振り返っていらっしゃいました。
子どもの頃の大変な経験を、前向きに捉えられる高市早苗さんの人間性の素晴らしさが表れていますよね。
弟さんとの年齢差が6歳というのも、ちょうどお世話ができる年齢でした。
この6歳という年齢差が、高市早苗さんに「お姉さん」としての役割を与え、成長させたのかもしれません。
兄弟姉妹との関係は、人間形成に大きな影響を与えると言いますが、高市早苗さんの場合はまさにその通りだったようですね。
高市家での厳格なルールや習慣!

高市早苗さんの実家には、厳格なルールや習慣がありました。
最も印象的なのは、毎朝のお仏壇へのお供えです。
早朝に、炊き上がったばかりのご飯とともに最初に入れたお水とお茶をお仏壇に供えることは、幼い頃からの高市早苗さんの役割でした。
夜になると、母親はお仏壇から下げた固くなって埃をかぶったご飯をお茶漬けにして食べていたそうです。
「ご飯粒ひとつも無駄にせずご先祖様に感謝しながらお下がりを頂く母の姿は、私や弟にとって最高の『食育』でありました」
と高市早苗さんは語っています。
この習慣からは、食べ物を粗末にしないこと、ご先祖様に感謝すること、そして日々の暮らしの中で精神性を大切にすることを学んだのでしょう。

家庭内のルールとしては、以下のような教えが繰り返し語られていました。
- 他人様に迷惑をかけることは絶対にしないこと
- 食べ物は粗末にしないこと
- 毎日、ご先祖様に感謝をすること
- 学校では、先生の教えに従うこと
- 家族も集団生活なのだから、他の家族が不愉快になる振る舞いはしないこと
- 陰で他人の悪口を言わないこと。言いたいことは直接本人に伝え、その場合も、相手の気持ちをよく考えること
次に特徴的なのが、教育勅語の暗唱です。
教育勅語というのは、明治時代に作られた教育の基本方針で、
「親孝行をしましょう」
「兄弟仲良くしましょう」
「勉強に励みましょう」
といった道徳的な内容が書かれています。

戦後は学校教育から外されましたが、高市家では家庭教育の一環として、子どもたちに教え続けていたんですね。
賛否両論ある話題ではありますが、幼い頃から道徳観念をしっかりと教え込まれたことが、高市早苗さんの人格形成に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
また、「家族も集団生活なのだから、他の家族が不愉快になる振る舞いはしないこと」というルールからは、家族といえども互いを尊重し合う関係性が求められていたことがわかります。
これは現代の家庭でも見習うべき考え方ですよね。
これらのルールや習慣は、決して特別なものではなく、「ほんの数十年前までは多くの家庭で当たり前に教えられてきたことばかり」だと高市早苗さん自身も語っています。

しかし、このような基本的な道徳的価値観をしっかりと家庭で教えることが、現代では少なくなってきているのかもしれません。
高市早苗さんは、これらの家庭での教えが、
「日本人としての生き方の基本」であり、「社会全体に公徳心や規範意識が醸成され、結果的には『問題発生によって生じる社会的コストの削減』や『経済成長』にも繋がっていく
と考えているそうです。
実家でのルールや習慣は、ただの家庭内ルールというより、社会人として、そして日本人としてどんなふうに生きていくべきかを教えてくれるものでもありました。
厳格に見えるかもしれませんが、それは子どもたちへの深い愛情と、将来への責任感から生まれたものだったのでしょう。
編集者の感想

政治家として厳しい一面を見せる高市早苗さんですが、その根底にあるのは両親から受け継いだ勤勉さと誠実さなのだと実感しました。
特に、父親が退職金を選挙資金に充てると手紙で伝えたエピソードには、涙が出そうになりました。
親が子どもの夢を応援する姿勢、そしてそれに応えようとする娘の姿に、家族の絆の深さを感じずにはいられません。
また、幼い頃から弟の世話をしながら育ったという経験が、今の高市早苗さんのリーダーシップにつながっているのだと思うと、人生の経験は無駄にならないのだと改めて思いました。
実家が裕福ではなかったからこそ、努力の大切さを身をもって学べたのでしょう。
まとめ
今回の記事は、
・高市早苗の実家はお金持ち?
・高市早苗の実家が裕福な家庭と言われる3つの理由!
・高市早苗の家族のエピソードを紹介!
こちらの内容でまとめました。
高市早苗さんの実家について調べた結果、「特別なお金持ち」ではなく、「真面目な共働き家庭」だったことがわかりました。
「裕福な家庭」と言われる理由として考えられるのは、名門高校・大学への進学実績、両親の安定した職業、そして現在の社会的地位の高さなどが挙げられます。
実際には、教育に投資する家庭ではあったものの、高市早苗さん自身が大学の学費をアルバイトで賄っていたことからも、経済的に余裕があったわけではなかったことがわかります。
政治家一族ではない一般家庭から、日本初の女性総理大臣にまで上り詰めた高市早苗さん。
高市早苗さんの成功は、恵まれた家庭環境によるものではなく、両親から受け継いだ勤勉さと誠実さ、そして本人の並々ならぬ努力の結果なのです。
むしろ、裕福ではなかったからこそ、努力の大切さを身をもって学び、今の地位を築けたのだと言えるでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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