日本を代表する元プロ野球選手であり、現在は北海道日本ハムファイターズの監督として活躍されている新庄剛志さん。
その華やかな野球人生とファッションセンス、そして唯一無二のキャラクターで多くのファンを魅了し続けています。
そんな新庄剛志さんですが、その破天荒で自由奔放なイメージとは裏腹に、実家が裕福な家庭ではないかという噂が絶えません。
一体なぜ、新庄剛志さんの実家がお金持ちだと言われるのでしょうか?
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
【画像】新庄剛志の実家はお金持ち?

新庄剛志さんですが、ネット上で
「実家は裕福なのでは?」
との声が広がっています。
新庄剛志さんの実家をインターネット検索してみると、このように「新庄剛志 実家 お金持ち」というキーワードまで出てきます。

これは、新庄剛志さんの実家について「お金持ち」というイメージを持つ方が多いということでしょう!

新庄剛志さんは、子供時代について
「決して裕福とは言えない、むしろ極貧生活を強いられていた」
と振り返っています。
朝食は抜き、夕食のおかずはゆで卵1個だけという日々が続いていたのだとか。
新庄剛志さんは、学校給食で栄養を補っていたと語っています。

実家の設備も非常に質素で、窓ガラスが割れるとビニール袋で代用していたそうです。
水洗トイレではなく「どっぽん便所」、お風呂は五右衛門風呂で同じお湯を一週間使っていたというエピソードもあります。
現在の新庄剛志さんからは想像もつかない、厳しい生活環境だったのですね。
ここで新庄剛志さんのプロフィールを見ていきましょう。
- 生年月日:1972年1月28日
- 年齢:53歳(2025年9月現在)
- 出身地:長崎県対馬市(母親の実家)、育ちは福岡県福岡市南区
- 血液型:A型
- 身長:181cm
- 職業:元プロ野球選手、現北海道日本ハムファイターズ監督
新庄剛志さんは、小学3年生でソフトボールと野球を始め、持ち前の運動神経の良さですぐに頭角を現します。
小学6年生の時、審判の判定に猛抗議したことをきっかけに「長丘ファイターズ」というソフトボールチームを自ら結成。

この時から既にリーダーシップを発揮していたんですね。
高校は西日本短期大学附属高等学校(現・西日本短期大学附属高等学校)に進学。
ここで本格的に野球に打ち込み、そのユニークなキャラクターと実力を兼ね備えた選手として注目を集めるようになります。

契約金2,800万円という金額を見て、新庄剛志さんはプロ入りを決意。
阪神タイガース時代は1992年にプロ初ホームランを記録し、
日本ハムファイターズ
ニューヨーク・メッツ
サンフランシスコ・ジャイアンツ
でプレー。

2006年に現役を引退した後は、バリ島での生活を経て、2021年に日本ハムファイターズの監督に就任されています。
新庄剛志さんは、常に注目を集める存在として野球界に関わり続けていますね。
では、一体なぜ、新庄剛志さんの実家はお金持ちと言われているのでしょうか?
理由について、次で詳しく見ていきましょう。
【画像】新庄剛志の実家が裕福と言われる3つの理由!

①:父親が造園業を営んでいたから
②:新庄剛志のプレースタイルと華やかさ
③:野球にかける教育費の充実
これらの理由を詳しく検証してみましょう。
理由①:父親が造園業を営んでいたから

新庄剛志さんの父・英敏さんが営んでいた「新庄造園」という看板の存在が、多くの人に「経営者=裕福」という印象を与えたのだと思われます。
造園業と聞くと、多くの人が
「庭園設計」
「高級住宅の庭造り」
「土地を持っている」
といった印象を持ちがちです。
確かに、大手の造園会社や庭園設計事務所などは高収入のイメージがありますし、実際に裕福な造園業者の方も多くいらっしゃいます。

しかし実際の英敏さんは、いわゆる植木職人として働く職人さんでした。
新庄家の「新庄造園」は、英敏さんが一代で築き上げた小規模な事業だったのです。
造園業の実情を考えてみると、収入は季節や案件によって大きく左右される不安定な職業でもあります。
春から秋にかけては庭木の手入れや造園工事で忙しくなりますが、冬場は仕事が少なくなる傾向があります。

また、個人事業主として経営していく上では、材料費や機材費、人件費などの経費も大きな負担となります。
新庄家の場合は、家族4人が暮らすのに必要な収入を得るのがやっとという状況だったようです。
お金はなくても、息子への愛情は惜しまなかった素晴らしい父親だったのでしょうね。

表面的には「造園業を営む事業主」という看板があったため、外部からは「経済的に安定した家庭」という印象を持たれていた可能性があります。
これが「実家がお金持ち」という噂の発端になったのかもしれませんね。
理由②:新庄剛志のプレースタイルと華やかさ

新庄剛志さんといえば、現役時代から常に注目を集める華やかなプレースタイルで有名でした。
この派手なパフォーマンスが、「実家もきっと裕福なんだろう」という印象を与えてしまったのではないでしょうか。
例えば、試合中の独特なパフォーマンス、ファッションセンス、そして何より「魅せる野球」への強いこだわり。
これらすべてが、一般的な「お坊ちゃん」「裕福な家庭出身」というイメージと重なってしまったのかもしれません。

決して裕福な環境で培われたものではなく、むしろ厳しい環境の中でも
「人を楽しませたい」
という純粋な気持ちから生まれたパフォーマンスだったのです。
メジャーリーグ時代には、確かに高額な年俸を得ていましたが、それは新庄剛志さん自身が努力と才能で勝ち取ったもの。

実家の経済状況とは全く関係のない話なのです。
限られた予算の中でも、工夫次第で素敵なファッションを楽しむことは可能ですからね。
理由③:野球にかける教育費の充実

新庄剛志さんが幼い頃から野球に打ち込める環境が整っていたことで、「実家は裕福だったのでは」という印象を持たれたのかもしれません。
- 少年野球チームの月謝:月額3,000円~5,000円程度
- グローブ・バット等の道具代:年間20,000円~30,000円
- 遠征費・合宿費:年間50,000円~100,000円
- ユニフォーム・スパイク代:年間15,000円~25,000円

1980年代の一般的な家庭にとって、この金額は決して軽いものではありませんでした。
しかし、新庄家では何とか工面してこれらの費用を捻出していたようです。
特に野球の場合、グローブやバット、スパイクなど、それなりに費用がかかる道具が必要になります。
新庄剛志さんの場合は、野球を始めた頃のスパイクは学校の上履きで、それがボロボロになると裸足で運動会の徒競走に参加していたそうです。
この時、新庄剛志さんは裸足で走って圧倒的な1位を獲得。

母親の文子さんは、
「靴はずれるからダメ。裸足が一番早いさ!」
とポジティブに言い放ったというエピソードも残っています。
そして、母親の文子さんは専業主婦でしたが、家計をやりくりして息子の野球を支えていました。
時には「ゆで卵1個」というエピソードも語られるほど、決して贅沢な食生活ではなかったという証言もあります。

それでも両親は新庄剛志さんの才能を信じ、野球に必要なものは何とか用意してくれていました。
この姿勢が、外から見ると「お金に余裕がある家庭」という印象を与えていたのかもしれません。
特に父親の英敏さんは、自分が果たせなかった夢を息子に託し、
「何が何でもプロ野球選手になって欲しい」
という強い想いを持っていたそうです。
新庄剛志と家族のエピソードを紹介!

家族のエピソードを紹介します!
深い愛情で結ばれた親子関係!

父親の英敏さんは、造園業を営む傍ら合気道の先生もされていて、
「子育ては植木を育てるのと同じ」
という独特な教育方針を持っていたのだとか。
新庄剛志さんが小学2年生の時のエピソードがとても印象的です。
頭痛で苦しんでいた新庄剛志さんが薬を求めた際、英敏さんは最初「甘えるな」と厳しく言いましたが、数秒後に「今日だけやぞ」と薬を渡してくれました。

その薬を飲んで2分で頭痛が治った新庄剛志さんがお礼を言うと、英敏さんは
「剛志、人間気持ちばい」
と答えました。
実は、その薬は下痢止めだったのです。

父親は大の酒好きで、仕事の後は毎晩のように居酒屋に通い、家計を火の車にしてしまうこともありました。
2011年に70歳で亡くなられた際には、200人を超える参列者が別れを惜しんだというのが何よりの証拠でしょう。
母親の文子さんは、1943年生まれで現在80歳を超えています。
長崎県対馬市の出身で、専業主婦として家庭を支えてきました。

文子さんは普段は気さくで穏やかな方でしたが、一旦怒りに火がつくと男顔負けの行動力を見せることもあったのだとか。
父親が朝帰りを続けた時には、包丁を手に取って抗議したというエピソードも残っています。
「酔っ払いにはこのくらいしとかんと分からん」
という言葉からは、家計を守る主婦としての強い意志が感じられますね。

このような母親の多面性が、新庄剛志さんの豊かな人間性の土台になったのかもしれませんね。
新庄剛志さんは現在でも母親を大切にされており、監督就任後もメディアのインタビューで家族への感謝の気持ちを語ることが多いです。
両親の愛情こそが、新庄剛志さんの人を惹きつける魅力の原点になっているのでしょう。
新庄剛志と姉との絆がスゴイ!

真由美さんは、子供の頃からスポーツ万能で、勉強もできる優秀な姉でした。
幼い頃は、姉弟でよく一緒に遊び、真由美さんが弟の面倒をよく見てくれていたそう。

特に印象深いのが「アイスクリーム事件」と呼ばれるエピソードです。
家族旅行でアイスクリームを一つずつ買ってもらった時、真由美さんが人にぶつかってアイスクリームを落としてしまったのだとか。
泣いてしまった姉を見て、新庄剛志さんは自分のアイスクリームを「食べていいよ」と差し出しました。
普通なら半分こするところですが、真由美さんは全部食べてしまったそう。

貧しい生活の中でも、二人でインスタントラーメンを半分こして食べるなど、支え合って生活していました。
現在でも新庄剛志さんが愛する長浜ラーメンは、姉と一緒に分けて食べた思い出の味なのだそうです。
真由美さんは現在、動くと筋肉が収縮して肌が黒くなる難病を患っており、
「95歳みたいな身体になっている」
と新庄剛志さんは語っています。

病名は公式には公表されていませんが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)ではないかと言われています。
新庄剛志さんが2020年にプロ野球のトライアウトを受けると発表した際、多くの人が「なぜ今更?」と疑問に思いました。
しかし、その真の理由は、難病と闘う姉・真由美さんに元気な姿を見せたいという純粋な願いだったのです。
『直撃!シンソウ坂上SP』での発言でも、「姉ちゃんにも見せたいっていうのもあるんですよ」と語っており、姉への深い愛情が伺えます。

現在の監督業についても、
「幼少のころからずっと憧れの存在だった姉を、少しでも元気づけるため」
という想いが込められているのです。
48歳という年齢での球界復帰は、一般的には考えられないことですが、家族への愛があれば不可能なことも可能にしてしまうのですね。
このエピソードを知った時、同じく家族を持つ身として、本当に感動してしまいました。
新庄家の勝負色は赤!?

新庄家には独特なルールがあり、
家族全員の勝負色が「赤」だったということです。
交通事故にも8回遭うほど活発だったため、事故防止の意味もあったそうです。
父親の英敏さんも、母親とのデートの時には赤色の服を着るという可愛らしい習慣があったとか。

「赤は闘争心の色です。我が家の基本色、勝負色とでも言いましょうか」
と語っていました。
食事に関しては、朝食は抜き、夕食のおかずはゆで卵1個という質素なものでした。
しかし新庄剛志さんは
「母親のつくる『きなこ餅』があれば満足していた。あの体は『きなこ餅』でつくった体なんです」
と語っています。

父親の英敏さんは、
「才能があっても努力しなければ意味がない」
という考えを持っていました。
新庄剛志さんに対しても、決して甘やかすことなく、継続的な努力の大切さを教え続けました。
毎日の素振り、ランニング、キャッチボールなど、基本的な練習を欠かさない習慣も新庄家で身につけたものです。

そして、新庄家では
「他人のことをとやかく言うな」
「男は黙って実行」
「誰にでも挨拶する。誰にでも愛想よくする」
という教育方針も徹底されていました。
これらの家族との温かいエピソードを知ると、新庄剛志さんの人柄の素晴らしさがよく分かりますね。
決して裕福ではない環境でしたが、愛情に満ちた家庭で育ったからこそ、今の魅力的な新庄剛志さんがあるのだと思います。
編集者の感想

新庄剛志さんの実家について調査を進める中で、改めて感じたのは「環境よりも愛情が人を育てる」ということでした。
経済的には決して恵まれていなかった新庄家ですが、家族の絆の深さと、それぞれが持つ個性を認め合う温かさがありました。
特に印象的だったのは、父親の英敏さんの職人としてのプライドと、母親の文子さんのポジティブな姿勢です。
どんなに貧しくても、決して弱音を吐かず、前向きに生きる両親の姿が、新庄剛志さんの精神的な強さの原点となっていることがよく分かりました。
また、姉の真由美さんとの関係性も非常に美しく、現在でも家族への愛情を大切にする新庄剛志さんの人柄が伝わってきます。
まとめ
今回の記事は、
・新庄剛志の実家はお金持ち?
・新庄剛志の実家が裕福な家庭と言われる3つの理由!
・新庄剛志の家族のエピソードを紹介!
こちらの内容でまとめました。
今回明らかになったのは、新庄剛志さんの実家は決してお金持ちではなく、むしろ極貧の生活を送っていたということでした。
「裕福な家庭」という噂が生まれた3つの理由も、すべて誤解に基づくものだったのです。
しかし、経済的な豊かさがなくても、家族の愛情と絆の深さは誰にも負けないものがありました。
貧しい環境から這い上がって成功を掴んだ新庄剛志さんのストーリーは、多くの人に勇気と希望を与えてくれます。
物質的な豊かさよりも、心の豊かさが人生にとって本当に大切なものだということを、新庄剛志さんの生い立ちが教えてくれているのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント