独特の存在感と圧倒的な演技力で、日本の映画・ドラマ界に欠かせない存在となった女優の二階堂ふみさん。
そのミステリアスな雰囲気や、洗練されたファッションセンスからは、どこか育ちの良さを感じさせます。
ネット上では「二階堂ふみさんの実家は実はお金持ちなのではないか?」という噂が絶えません。
沖縄出身というルーツを持ちながら、若くして才能を開花させた彼女の背景には、一体どのような家庭環境があったのでしょうか。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
二階堂ふみの実家はお金持ちではない!
二階堂ふみさんですが、ネット上で
「実家は裕福なのでは?」
との声が広がっています。
二階堂ふみさんの実家をインターネット検索してみると、このように「二階堂ふみ 実家 お金持ち」というキーワードまで出てきます。

これは、二階堂ふみさんの実家について「お金持ち」というイメージを持つ方が多いということでしょう!
しかし実際には、かなり苦しい家庭環境で育ったことを、本人自身が複数のインタビューで明かしています。
2021年12月に放送されたフジテレビ系「突然ですが占ってもいいですか?」に出演した際、11歳の時に両親が離婚し、母親と2人暮らしを始めたことを告白。
二階堂ふみさんは、
「新しいお家で母と2人で暮らし始めたのが11歳でした。お金はある家庭ではなかったですね。お風呂もなかった」
と貧しい幼少期を明かしたんです。

これらの発言から、実家が裕福だったとは到底言えない状況だったことがわかりますよね。
ではなぜ「お金持ち」という噂が広まったのでしょうか?
まずは、二階堂ふみさんのプロフィールを見ていきましょう。
- 生年月日:1994年9月21日
- 年齢:31歳(2025年12月現在)
- 出身地:沖縄県那覇市壺屋
- 血液型:O型
- 身長:157cm
- 職業:女優、写真家
- 所属事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ
芸能界入りのきっかけは、12歳の時に沖縄のフリーペーパー「沖縄美少女図鑑」vol.4に掲載されたことでした。
その写真がスタッフの目に留まり、スカウトされたんですね。
2007年から芸能活動を開始し、ローティーン向けファッション誌「nicola」の専属モデルとして活動をスタートさせます。
そして2009年、15歳の時に映画「ガマの油」でデビューを果たします。
その後、2011年公開の映画「ヒミズ」では、なんと16歳にして第68回ヴェネチア国際映画祭で「マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)」を受賞するという快挙を成し遂げました!
日本人初の受賞だったんですよ。
それからの活躍は目覚ましく、
「私の男」
「リバーズ・エッジ」
「翔んで埼玉」
「人間失格 太宰治と3人の女たち」
など、数々の話題作に出演してきました。
2020年のNHK連続テレビ小説「エール」でのヒロイン役も記憶に新しいですよね。
2017年のバラエティ番組での共演がきっかけで、二階堂ふみさんの方から猛アタックしたというエピソードも話題になりましたね!
このように、二階堂ふみさんは若くして国際的な評価を受け、日本を代表する実力派女優として着実にキャリアを積み重ねてきた方なんです。
では、一体なぜ、二階堂ふみさんの実家はお金持ちと言われているのでしょうか?
理由について、次で詳しく見ていきましょう。
二階堂ふみの実家が裕福と言われた3つの理由!
①:多彩な習い事をしていた
②:慶應義塾大学に進学したから
③:洗練された雰囲気とセンスの良さ
これらの理由を詳しく検証してみましょう。
理由①:多彩な習い事をしていた

まず第一の理由として挙げられるのが、二階堂ふみさんが幼少期から数多くの習い事をしていたという事実です。
一人っ子だった彼女は、母親の意向により、幼少期から様々な習い事をしていたことが知られています。
具体的には、以下のような習い事をしていたと報じられています。
- 琉球空手
- バイオリン
- 英会話
- バレエ
これだけの習い事をさせるとなると、確かに費用がかかります。

一般的な月謝の相場を見てみましょうか。
- 琉球空手:約5,000円〜8,000円
- バイオリン:約8,000円〜15,000円(楽器レンタル代込みの場合はさらに高額)
- 英会話:約8,000円〜12,000円
- バレエ:約7,000円〜12,000円
これを見ると「やっぱりお金持ちだったのでは?」と思いますよね。
でも、ここに母親の深い愛情が隠れているんです。

経済的に余裕がなくても、「娘には様々な可能性を」という思いで、おそらく自分の生活を切り詰めてでも習い事をさせていたのではないでしょうか。
二階堂ふみさん自身も番組で、
「お母さんはたぶん、辛かったんだろうなって感じる」
と語っていましたが、これは母親が経済的に苦しい中でも娘に教育を受けさせようと必死だった姿を見てきたからこそ出る言葉なのでしょう。

また、習い事の中には母親の人脈や地域のつながりで、通常より安く受けられたものもあったかもしれません。
「習い事をたくさんしている=裕福」という図式は必ずしも正しくないということです。
むしろ、母親が娘の才能を信じ、将来への投資として無理をしてでも教育費を捻出していた、そんな切実な愛情の表れだったのかもしれません。
実際、バレエは二階堂ふみさんの特技として今も活かされています。
英会話も特技として挙げられており、国際映画祭などでの対応にも役立っているはずです。
母親の先見の明と献身的な努力が、今の二階堂ふみさんを作り上げたんだなと感じます。
「お金持ちだから習い事ができた」のではなく、「習い事をさせるために母親が必死に働いた」というのが真実なのかもしれませんね。
理由②:慶應義塾大学に進学したから

二番目の理由として挙げられるのが、二階堂ふみさんが名門・慶應義塾大学に進学したという事実です。
二階堂ふみさんは、2014年、一浪の末に慶應義塾大学総合政策学部(いわゆるSFC)にAO入試で合格しました。
「慶應大学に行けるなんて、やっぱり実家がお金持ちなんじゃない?」という印象を持つ方も多いのではないでしょうか。
確かに、慶應義塾大学は私立大学の中でも学費が高いことで知られています。
- 入学金:約20万円
- 授業料(年額):約130万円
- 施設費等:約30万円
- 初年度合計:約180万円
- 2年目以降(年額):約160万円

これだけの金額を見ると、「やはり経済的に余裕がないと無理では?」と思ってしまいますよね。
でも、ここにも二階堂ふみさんの努力と工夫があったんです。
二階堂ふみさんは、一浪して大学に入学していますが、その間も女優として仕事を続けていました。
当時すでに女優として活躍しており、自分で収入を得ていたということ。
2014年の大学入学時点で、彼女は20歳。
推定年収については明確な情報はありませんが、人気女優として活動していた二階堂ふみさんなら、学費を自分で賄うことは十分可能だったと考えられます。
実際、撮影現場に参考書を持ち込んで勉強するという、並大抵ではない努力をしていたことがわかっています。
仕事と勉強を両立させながら、一浪して難関大学に合格するという彼女の根性は本当に素晴らしいと思います。
また、慶應義塾大学には奨学金制度も充実しています。
経済的に困難な学生でも学べるよう、返済不要の給付型奨学金や学費減免制度など、さまざまなサポートがあるんですよ。

二階堂ふみさんがこうした制度を利用していた可能性も考えられますね。
さらに注目すべきは、彼女がAO入試で合格したという点です。
AO入試は学力試験だけでなく、個性や能力、将来の可能性などを総合的に評価する入試方式。
二階堂ふみさんの場合、すでに国際的な映画祭で受賞歴があり、女優としての実績も豊富でした。
2020年には「7年生」として在学中と報じられました。

これは通常よりも卒業に時間がかかっていることを意味しますが、女優業と学業の両立がいかに大変だったかを物語っていますよね。
「慶應大学に通っている=実家が裕福」という先入観から、二階堂ふみさんの実家もお金持ちだと思われてしまったわけですが、実際には彼女自身の努力と才能、そして芸能活動で得た収入によって大学に通っていた可能性が高いということです。
むしろ、経済的に厳しい環境で育ったからこそ、学びたいという強い意志を持ち、自分の力で道を切り開いていったのだと思います。
その姿勢こそが、二階堂ふみさんの魅力の一つなのかもしれませんね。
理由③:洗練された雰囲気とセンスの良さ
三つ目の理由は、二階堂ふみさん自身が持つ「洗練された雰囲気」です。
ファッションセンスの良さ、知的な話し方、立ち居振る舞いの美しさなど、育ちの良さを感じさせる要素がたくさんあるんですよね。
映画祭やイベントに出席する際の装いを見ても、いつもセンス抜群!
また、インタビューでの受け答えも的確で知性を感じさせます。
社会問題について語るときの視点の鋭さや、作品について語るときの深い洞察力は、高い教養を感じさせるんですよね。
でも、これも実は「裕福な家庭だったから」ではないんです。

むしろ、様々な苦労を経験したからこそ、人の痛みがわかる感性が育ったのではないでしょうか。
二階堂ふみさんは社会貢献活動にも積極的です。
2015年にフェレットを飼い始めたことをきっかけに、動物愛護や環境保護に関心を持つようになりました。
2018年には国連環境計画の「Wild for Life」キャンペーン日本版アンバサダーに就任しています。
こうした社会的な活動も知的で上品なイメージを強めていますよね。
実際には、こうした活動は経済力というよりも、本人の価値観や社会への意識の高さから来るものなんです。
でも、一般的には「余裕のある家庭で育った人がするもの」というイメージがあるため、「裕福な家庭出身」という誤解につながってしまうのかもしれません。
また、父親が障がい者施設で働いていることにも言及しており、
「そこで働くようになってからの父がすごく好き」
と語っています。
このような発言からも、表面的な豊かさではなく、人としての豊かさを大切にする価値観が伝わってきますよね。
洗練された雰囲気は、お金で買えるものではありません。
沖縄という独特の文化を持つ土地で育ち、母親の厳しくも愛情深い教育を受け、若くして芸能界で多くの経験を積んだ。

そういった全てが、今の二階堂ふみさんを形作っているんですね。
「お金持ちっぽく見える」というのは、彼女の内面から滲み出る品格であって、実家の経済状況とは直接的な関係はないということです。
むしろ、経済的に厳しい中でも、母親がマナーや教養を大切にする教育をしてきたことの証ではないでしょうか。
このように3つの理由を詳しく見ていくと、「お金持ちの家庭」という噂は表面的な印象に基づいたものだとわかります。
実際には、母親の献身的な努力と、二階堂ふみさん本人の並外れた頑張りによって、今の地位を築いてきたんですね。
二階堂ふみは母子家庭育ちの一人っ子!
家族のエピソードを紹介します!
平坦ではなかった両親との関係性

二階堂ふみさんの父親は東京出身の和食料理人、母親は沖縄出身という組み合わせでした。
「お母さんは厳しい人でした」と語る一方で、深い愛情と尊敬の念も感じられるんですよね。
二階堂ふみさんが番組で語ったところによると、母親の教えで印象に残っているのは
「悩んだ時は食べて寝ろ!」
という言葉だそうです。
これって、すごく沖縄らしい、おおらかで温かい教えだと思いませんか?

「そのまま地元にい続けると、自分が壊れていっちゃう」
と感じていたとき、母親は彼女の気持ちを受け止め、女優として東京で活動することを応援してくれました。
また、母親は映画好きだったそうで、二階堂ふみさんが女優を目指すきっかけにもなったと言われています。
小学4年生の時に「女優になってテレビに出たい」と宣言したのも、母親の影響があったのかもしれません。
二階堂ふみさんは番組で、
「お母さんはたぶん、辛かったんだろうなって感じる。還元したいな、って大きな夢がある」
と母親への深い愛情を語っています。

苦労して自分を育ててくれた母親に恩返しをしたいという気持ちが、女優として頑張る原動力になっているんですね。
一方、父親との関係については、離婚後は離れて暮らすことになりましたが、近年では良好な関係を築いているようです。
2023年のインタビューで二階堂ふみさんは、父親が現在は障がい者の介護施設で働いていることを明かしました。
「生産性のために人は生まれたわけじゃない」
「忙しい人だった父が『ご飯食べた?』って利用者さんに優しく声をかけている姿を見て、人って変われるんだなと思った」
と語っており、父親への理解が深まったことが伺えますよね。

かつては和食の料理人として忙しく働いていた父親が、今は人に寄り添う仕事をしている。
その変化を温かく見守る二階堂ふみさんの姿勢には、大人になった彼女の成長と寛容さが感じられます。
複雑な家庭環境で育ちながらも、両親への愛情を失わなかった彼女の心の強さには感銘を受けますよね。
二階堂ふみに兄弟姉妹はいる?

興味深いことに、両親それぞれの家系には「離婚」という共通点があります。
2021年のテレビ番組「突然ですが占ってもいいですか?SP」で、占い師の星ひとみさんから「離婚の星を持っている」と指摘された二階堂ふみさん。
彼女は「自覚してます」と答え、
「父も母も3兄弟で、同じ兄弟構成で全員が離婚してるんですよ」
と語りました。

つまり、父方の3兄弟も、母方の3兄弟も、全員が離婚しているという驚きの事実。
父親の兄弟3人、母親の兄弟3人、合計6人全員が離婚を経験しているのです。
これを聞いた時、私も驚きました。
確率的に考えても、かなり珍しいケースですよね。
このような家族の歴史を知っているからこそ、二階堂ふみさんは結婚について慎重な姿勢を持っていたようです。
占い師からは、
「29歳までは絶対結婚しないでね」
「32歳で結婚するといい」
とアドバイスを受けていました。

実際、二階堂ふみさんが結婚を発表したのは2025年8月、30歳のとき。
一人っ子として育った二階堂ふみさん。
兄弟がいなかったからこそ、母親との絆が特に深かったのかもしれません。
俳優という職業は、人間の心理や感情を深く理解する必要があります。
一人っ子として内省的に育った経験が、二階堂ふみさんの演技力の源になっているのかもしれないと感じます。
二階堂家のルールや習慣!

母親は「厳しい人でした」と二階堂ふみさんが語っているように、しつけには厳格だったようです。
でもそれは、一人娘が将来困らないようにという愛情からくるものだったんでしょうね。
武道で精神を鍛え、芸術で感性を磨き、語学で世界を広げるという、バランスの取れた教育方針が感じられます。
母親の教えで印象に残っている「悩んだ時は食べて寝ろ!」という言葉は、とても沖縄らしいですよね。
これは単なる気分転換のアドバイスではなく、「まず体を整えることが大切」という、生活の基本を教えているんだと思います。

沖縄には、
「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」
という言葉があります。
「命こそ宝」という意味で、何よりも生きることを大切にする沖縄の精神文化を表しています。
母親の「食べて寝ろ」という教えも、この価値観に通じるものがあるのではないでしょうか。
そんなおおらかで前向きな考え方が、二階堂ふみさんの心の支えになっているのかもしれませんね。
母親は映画が好きだったそうで、二階堂ふみさんも幼い頃から映画に触れる機会が多かったと言われています。

これが女優を目指すきっかけの一つになったのかもしれませんね。
この早い時期からの明確な目標は、家庭での映画鑑賞などを通じて、エンターテインメントの世界に自然に親しんでいたからこそ生まれたのでしょう。
二階堂ふみさんが社会問題に関心を持ち、動物愛護や環境保護活動に取り組んでいる姿勢は、実家での経験が影響しているのかもしれません。
11歳から母と2人での生活になったということは、母娘の会話の時間も多かったはずです。
女優として忙しくなる前は、一緒に過ごす時間の中で、たくさんのことを話したり、母親の人生観を聞いたりする機会があったのでしょう。
今でも二階堂ふみさんが母親に感謝の気持ちを持ち続けているのは、そういった日々の積み重ねがあったからこそですよね。
「お母さんはたぶん、自分を犠牲にして娘に全部投資してた」
という気づきは、大人になって改めて母親の愛の深さを理解したということなんでしょう。
母親の愛情と厳しさのバランス、沖縄の文化に根ざした価値観、そして質素でも心豊かに暮らす知恵が、今の二階堂ふみさんを形作っているんですね。
「裕福な家庭」という噂とは異なる、むしろ地に足のついた、温かい家庭環境で育ったことがよくわかります。
そしてその環境が、彼女の演技の深みや人間的な魅力につながっているのかもしれませんね!
編集者の感想

二階堂ふみさんについて調べれば調べるほど、「見た目と実際のギャップ」に驚かされました。
洗練された雰囲気から「お金持ちの家の子」だと思っていた人も多いのではないでしょうか?
実際には、お風呂もない家で母親と2人、決して楽ではない環境で育ったという事実。
でもそこには、母親の深い愛情と、二階堂ふみさん本人の努力があったんですよね。
特に印象的だったのは、母親が経済的に厳しい中でも、娘に多くの習い事をさせていたという点です。
自分の生活を切り詰めてでも、娘の可能性を広げたいと願う母親の姿が目に浮かびます。
そして、その期待に応えるように、二階堂ふみさんは若くして国際的な賞を受賞し、慶應大学に進学し、トップ女優としての地位を築きました。
お金がなくても、愛情と教育への情熱があれば、子どもは大きく羽ばたけるんだということを、二階堂ふみさんの人生が証明していますよね!
まとめ
今回の記事は、
・二階堂ふみの実家はお金持ち?
・二階堂ふみの実家が裕福な家庭と言われる3つの理由!
・二階堂ふみの家族のエピソードを紹介!
こちらの内容でまとめました。
結論から言うと、二階堂ふみさんの実家は裕福ではありませんでした。
本人が「お金はある家庭ではなかった。お風呂もなかった」と明言しているように、むしろ経済的には厳しい環境だったんです。
「お金持ち説」が広まった理由として挙げられた「複数の習い事」「慶應大学進学」「洗練された雰囲気」は、いずれも誤解や憶測に基づくものでしたね。
母親への深い感謝と「還元したい」という思い。
困難を乗り越えた人だからこその、地に足のついた人間性。
これこそが、二階堂ふみさんの最大の魅力なのかもしれませんね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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