サッカー日本代表として、世界を舞台に活躍する久保建英さん。
10歳でスペインの名門FCバルセロナの下部組織に入団したというエピソードは、サッカーファンならご存じですよね。
そんな久保建英さんについて、ネット上では「実家がお金持ちなのでは?」という声が多く聞かれます。
実際のところ、久保建英さんの実家は本当に裕福なのでしょうか?
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
久保建英の実家はお金持ちで御坊ちゃま?
久保建英さんですが、ネット上で
「実家は裕福なのでは?」
との声が広がっています。
久保建英さんの実家をインターネット検索してみると、このように「久保建英 実家 お金持ち」というキーワードまで出てきます。

これは、久保建英さんの実家について「お金持ち」というイメージを持つ方が多いということでしょう!
ここで久保建英さんのプロフィールを見ていきましょう。
- 生年月日:2001年6月4日
- 年齢:24歳(2026年2月現在)
- 出身地:神奈川県川崎市麻生区
- 血液型:A型
- 身長:173cm
- 職業:プロサッカー選手
- 所属クラブ:レアル・ソシエダ(スペイン)
久保建英さんがサッカーを始めたのは、わずか3歳のときでした。
2010年、小学3年生の時に川崎フロンターレU-10に入団。
当時から別次元の才能を持っていたと、コーチたちが証言しています。
そして2011年8月、 FCバルセロナの下部組織「カンテラ(ラ・マシア)」の入団テストに合格したのです。
バルセロナでの生活は順調でしたが、2014年にFIFAの未成年選手の国際移籍に関する規定により、久保建英さんは公式戦に出場できなくなってしまいます。
この規定により、2015年3月に日本に帰国することに。
これはJリーグ史上最年少記録でした。
2019年6月、スペインのレアル・マドリードに移籍。
その後は期限付き移籍でマジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェでプレー経験を積み、2022年にレアル・ソシエダに完全移籍しました。
現在も日本代表として、そしてレアル・ソシエダの主力選手として活躍を続けています。
こうして振り返ると、久保建英さんの経歴は、まさに「サッカーエリート」そのものですよね。
幼少期から一貫して世界を見据えた環境で育ってきたことがわかります。
では、一体なぜ、久保建英さんの実家はお金持ちと言われているのでしょうか?
理由について、次で詳しく見ていきましょう。
久保建英の実家が裕福と言われる3つの理由!
①:父親がミサワホームの執行役員
②:スペイン留学の費用を負担できる経済力
③:神奈川県川崎市麻生区の高級住宅街で育った
これらの理由を詳しく検証してみましょう。
理由①:父親がミサワホームの執行役員

まず1つ目の理由は、お父様のお仕事です。
お父様、久保健史(くぼ たけふみ)さんは、
1994年から大手住宅メーカーのミサワホーム株式会社に勤務しており、2026年現在まで30年以上勤め続けています。
さらに、執行役員という地位にもあるようです。

ミサワホームは東証一部上場の大手企業で、住宅業界では誰もが知る有名企業。
このような大手企業の部長クラス、しかも執行役員という役職となると、年収はかなり高いことが想像できますよね。
一般的な情報として、ミサワホームの平均年収は約700万円程度と言われていますが、これは全社員の平均値。
部長クラスや執行役員となると、年収は1,100万円以上になると考えられています。
つまり、久保建英さんの父親の年収は、推定で1,000万円を超える高収入であると考えられるんです。
これだけの収入があれば、子どもの教育費にしっかりと投資できる余裕がありますよね。

さらに久保建史さんは、2012年に「おれ、バルサに入る!夢を追いかけるサッカー・キッズの育て方」という本を出版されています。
息子のバルセロナ入団までの経緯や、家庭での教育方針、サッカー育成について書かれた一冊で、子育てに関心がある方々の間で話題になりました。
この安定した高収入があったからこそ、後述するスペイン移住や教育費の負担が可能だったと言えるでしょう。
理由②:スペイン留学の費用を負担できる経済力

2つ目の理由は、10歳という若さでスペイン留学を実現できた経済力です。
2011年、スペイン・バルセロナへ渡りFCバルセロナの下部組織(カンテラ)に入団した久保建英さんの挑戦は、家族の人生を大きく変える転機となりました。
当時10歳の子どもをスペインに送り出すということは、単にサッカースクールの月謝を払うのとはわけが違います。
この「スペインサッカー留学」がどれほど高額なものか、具体的な金額を知ると驚きますよ。

まず、サッカー留学にかかる一般的な費用の相場を見てみましょう。
- 航空券(往復):約20万円
- ホームステイ費用(食事付き):月15万円×10ヶ月=約150万円
- サッカートレーニング費用:年間約65万円
- 語学学校費用:月5万円×10ヶ月=約50万円
- アテンド・コーディネート費用:約40万〜60万円
- 現地での生活費・交通費など:月3万〜5万円×10ヶ月=約30万〜50万円
- 保険料:約7万5千円
- 合計:年間約350万〜400万円前後
これはあくまで一般的な留学プログラムの相場ですが、

- 家族3人分の渡航費:約50万円
- 住居費(アパート賃貸):月15万〜20万円×約36ヶ月=約540万〜720万円
- 生活費(食費・光熱費など):月20万円×約36ヶ月=約720万円
- 久保建英さんのサッカー活動費:年間約50万円×3年=約150万円
- 弟さんの保育・教育費:月5万円×約36ヶ月=約180万円
- 語学学校・スペイン語学習費用:約100万円
- 日本への一時帰国費用(年2〜3回):約100万〜150万円
- その他雑費:約100万円
- 3年間の合計:約1900万〜2200万円
これだけの金額を、お父様は日本で働きながら仕送りし続けたわけです。
お父様も定期的にスペインに会いに行っていたでしょうから、その渡航費も加わります。

久保家は、日本とスペイン、2つの拠点で生活費を負担していたことになります。
お父様は日本で仕事を続けるため単身で生活していましたから、日本での生活費(家賃・光熱費・食費など)も同時に必要だったわけです。
こうした莫大な費用を負担しながら、家族の生活を維持できたということは、実家にはかなりの経済的余裕があったと考えられます。

一般的なサラリーマン家庭では、なかなか実現できない選択だったと言えるでしょう。
しかも、久保建英さんが必ずバルセロナに入団できる保証はどこにもありませんでした。
それでも10歳の息子の夢を信じ、大きな費用をかける決断をした久保家の姿からは、単なる「裕福な家庭」という言葉では語れない、家族の深い愛情と強い思いが伝わってきますね。
また、久保建英さんは帰国後もFC東京の下部組織で活動し、様々な遠征や合宿に参加しています。
一般的なジュニアユースのサッカークラブでも、年間の活動費は約30万〜50万円かかると言われていますが、FC東京のようなJリーグのユースとなると、遠征費や合宿費などを含めればさらに高額になったはずです。
理由③:神奈川県川崎市麻生区の高級住宅街で育った

久保建英さんが育った神奈川県川崎市麻生区は、落ち着いた高級住宅街として知られています。
新百合ヶ丘駅周辺は、小田急線で新宿まで約30分とアクセスが良く、それでいて緑が多く静かな住環境が魅力です。
麻生区は多摩丘陵の一角に位置し、自然と住宅地が調和した美しい街並みが特徴。
実際、教育熱心な家庭が多く住んでいることでも有名なエリアなんですよ。

そして何より注目すべきは、この地域の住宅価格や土地価格です。
- 百合丘1丁目の最高額地点:約52.9万円/㎡
- 百合丘2丁目の最低額地点:約31.5万円/㎡
- 平均的な土地価格:約40万〜50万円/㎡
これを坪単価に換算すると、約132万〜165万円/坪となります。
一般的な住宅用地として100坪(約330㎡)の土地を購入しようとすると、土地代だけで約1億3200万〜1億6500万円かかる計算になります。

さらに、この地域の新築一戸建ての相場を見てみると、以下のような価格帯です。
- 3LDK〜4LDK:約4000万〜5500万円
- 駅近や人気エリア:約5000万〜7000万円以上
- 高級住宅地の物件:1億円を超えるものも
久保建英さんの実家がどのような住宅だったかは公開されていませんが、このエリアで一戸建てを所有していたとすれば、少なくとも数千万円の資産価値がある住宅に住んでいたことになります。
また、川崎市麻生区の平均年収は約633万円で、神奈川県の58市町村の中で5位にランクインしています。

さらに、子どもの習い事や教育にお金をかける家庭が多いため、久保建英さんのように幼少期から専門的なトレーニングを受ける環境が整っていたと言えます。
実際、久保建英さんは百合丘子どもサッカークラブに所属していましたが、このクラブは1971年から活動する歴史あるチームで、J1川崎フロンターレの練習拠点にも近く、サッカーが盛んな地域です。
こうした環境で育ったからこそ、久保建英さんの才能が開花したとも言えるでしょう。
久保建英と家族のエピソードを紹介!
家族のエピソードを紹介します!
両親との信頼関係がステキ!

お父様は、久保建英さんが2歳の頃から毎朝1時間早起きして一緒にサッカーの練習をしていました。
普通のサラリーマンが、出勤前に毎朝子どもと練習をするなんて、相当な覚悟と体力が必要ですよね。
お父様の教育方針で特徴的だったのは、「親が答えを出さない」ことでした。
久保建英さんが何かを選択する場面では、必ず本人に考えさせ、自分で決めさせるようにしていたそうです。
バルセロナへの留学を決めたのも、最終的には久保建英さん自身の意志でした。

お父様は、筑波大学の体育専門学群を卒業し、在学中はサッカー部にも所属していた方です。
「将来子どもとサッカーを楽しみたい」という思いから、地元のサッカークラブのコーチの資格まで取得されたそうです。
サッカーの基本をしっかりと学び直してから息子に教えるという姿勢は、本当に素晴らしいですよね。
一方、お母様の存在も忘れてはいけません。
お母様は専業主婦でしたが、久保建英さんが10歳でバルセロナに渡ったとき、お父様を日本に残して弟さんと一緒にスペインに移住しました。

約3年間、異国の地で言葉も文化も違う環境の中、二人の息子を育て、サポートし続けたんです。
スペインでは、学校への送り迎え、食事の準備、スペイン語のサポート、そしてメンタル面のケアまで、すべてお母様一人で担っていたと言われています。
住み慣れない土地で、夫もいない状況で子育てをするのは、どれほど心細かったことでしょう。
FCバルセロナの下部組織では、お母様の献身的なサポートが周囲からも評価されていたそうです。

久保建英さん自身も、インタビューで家族への感謝の気持ちを何度も語っています。
「家族がいつも支えてくれた」
「両親の理解があったから今がある」
といった言葉からは、深い信頼関係が伺えますよね。
スペインでの試合のことや、日本代表での活動について、両親に報告し、アドバイスをもらっているとか。
距離は離れていても、家族の絆は変わらず強いままなんですね。
久保建英の弟もサッカー選手だった!

瑛史さんも久保建英さんと同じくサッカー選手の道を歩んでおり、現在はJ1セレッソ大阪に所属しています。
二人の名前は、お父様の久保健史(たけふみ)さんの名前から一文字ずつ取って名付けられたそうです。
久保建英さんの「建」と、弟の久保瑛史さんの「史」を合わせると「建史」になりますよね。
お父様の思いが込められた素敵な命名です。
兄がボールを蹴る姿を見て、自然とサッカーに興味を持ったそうです。
そして驚くことに、久保瑛史さんも兄と同じくスペインのレアル・ソシエダの下部組織に入団していました。
兄がトップチームで活躍する同じクラブの下部組織でプレーしていたんですね。
2025年8月、久保瑛史さんは17歳でレアル・ソシエダを退団し、J1セレッソ大阪に電撃加入。
このとき、久保建英さんにも相談したそうです。
兄からは、
「両親に言ってから相談してくれ。やりたいようにやれば。自分で決めろよ」
とアドバイスを受けたとか。

久保瑛史さんは兄について、
「サッカー選手としてはやっぱり尊敬する選手ですし、家族としてはアドバイスをくれてたまに試合を見てくれたりする」
と語っています。
兄弟でありながら、お互いにサッカー選手として尊敬し合い、支え合っている関係が伝わってきますよね。
久保建英のいとこは陸上選手の久保凛!
ちなみに、久保家には有名ないとこもいます。
陸上女子800メートルの日本記録保持者、久保凛(くぼ りん)さんです。
凛さんのお父様が、久保建英さんのお父様の兄にあたるそうです。
久保家はスポーツ一家なんですね。
家族全員がお互いを応援し合い、切磋琢磨している様子が目に浮かびます。
久保家ならではのルールや習慣!

久保建英さんの家庭には、独特のルールや習慣がありました。
それは一見「厳しい」ように思えるかもしれませんが、実は子どもの創造力や自主性を育てるための工夫だったのです。
- テレビを置かない(または極力見せない)
- おもちゃを買わない
- リビングにソファを置かない
- ベビーカーを使わず、できるだけ歩かせる
- 絵本を読む(家には約400冊の絵本)
- 外遊びを重視する
- 子ども自身に選ばせる
これらのルールを見ると、「家の居心地をあえて悪くして、外で遊ばせる」という意図があったことがわかります。

テレビがなければ家でじっとしている理由がなくなりますし、おもちゃがなければ外でボールを蹴って遊ぶしかありません。
ソファがなければゴロゴロすることもできませんよね。
これは決して「子どもをいじめるため」ではなく、
「外で体を動かし、自然の中で五感を使って遊んでほしい」
という親の願いからでした。
特に印象的なのが「テレビを置かない」というルールです。
現代社会では子どもがテレビやスマホの画面を見る時間が長くなりがちですが、久保家では幼少期にはテレビをほとんど見せませんでした。

その代わりに、両親が絵本を読み聞かせました。
本を読むことで想像力が育ち、言葉を理解する力も高まります。
これがサッカーでの「状況判断力」や「コミュニケーション能力」にもつながっていったのかもしれません。
また、「おもちゃを買わない」というルールも、創造力を育てる工夫でした。
与えられたおもちゃで遊ぶのではなく、自分で遊びを考えたり、身の回りのものを使って工夫したりする。

幼稚園選びの際も、「縦のつながりを大切にする園」を選んだそうです。
年長の子が年少の子の面倒を見る環境で、思いやりやコミュニケーション能力を育てたかったからです。
こうした教育方針の根底には、「子どもの自主性を尊重する」という一貫した考え方がありました。
押し付けるのではなく、見守る。
指示するのではなく、考えさせる。

また、父親は息子に技術を教える際も、「遊びの中で自然に身につくように」工夫していました。
たとえば、ドリブルの練習をさせるのではなく、鬼ごっこをしながら自然とボールを扱う技術が身につくようにする――そんな工夫です。
「勉強しなさい」と言われると嫌になるけれど、遊びながら学べば楽しい。
久保建英さんは、サッカーを「訓練」ではなく「遊び」として楽しみながら成長していったのです。
実家でのこうしたルールや習慣は、決して「お金がかかる」ものではありませんでした。
むしろ、テレビを買わない、おもちゃを買わないという選択は、経済的には節約になります。
でも、その分親が時間と労力をかけて子どもと向き合い、絵本を読み聞かせたり、一緒に公園で遊んだりする。
久保建英さんの実家が「裕福」だったのは、経済的な面だけでなく、こうした「教育への意識の高さ」と「子どもと向き合う時間の豊かさ」があったからこそだと言えるでしょう。
編集者の感想

久保建英さんの実家や家族について調べてみて、改めて感じたのは「家族の愛とサポートの大きさ」でした。
確かに経済的に余裕のある家庭だったことは事実だと思います。
でも、それ以上に印象的だったのは、両親が子どもの夢を本気で応援し、全力でサポートした姿勢です。
久保建英さんの成功は、才能と努力、そして家族の献身的なサポートが見事に組み合わさった結果なんだと感じました。
裕福な環境はあくまで「条件の一つ」であって、それだけでは決して世界のトップには立てないんですよね。
まとめ
今回の記事は、
・久保建英の実家はお金持ち?
・久保建英の実家が裕福な家庭と言われる3つの理由!
・久保建英の家族のエピソードを紹介!
こちらの内容でまとめました。
父親がミサワホームの執行役員であったこと、スペイン留学の莫大な費用を負担できたこと、川崎市麻生区という良好な住環境で育ったこと。
これらの事実から、久保建英さんの実家は一般的な家庭よりも経済的に恵まれていたと考えられます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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