日本の政界で長年にわたり要職を歴任し、その誠実で真面目な人柄で多くの国民から支持を得ている石破茂さん。
政治家としてのキャリアはもちろんのこと、石破茂さんの生い立ちや実家についても多くの関心が寄せられています。
ネット上では、「石破茂 実家 金持ち」というキーワードが頻繁に検索されており、裕福な家庭で育ったのではないかという噂が囁かれています。
果たして、石破茂さんの実家は本当に裕福だったのでしょうか。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
【画像】石破茂の実家はお金持ち?

石破茂さんですが、ネット上で
「実家は裕福なのでは?」
との声が広がっています。
石破茂さんの実家をインターネット検索してみると、このように「石破茂 実家 お金持ち」というキーワードまで出てきます。

これは、石破茂さんの実家について「お金持ち」というイメージを持つ方が多いということでしょう!
ここで石破茂さんのプロフィールを見ていきましょう。
- 生年月日:1957年(昭和32年)2月4日
- 年齢:67歳(2025年9月現在)
- 出身地:鳥取県八頭郡八頭町(旧郡家町)
- 学歴:鳥取大学附属小学校・中学校 → 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
- 職歴:三井銀行行員 → 衆議院議員(13期)
- 主な役職:内閣総理大臣(第102・103代)、自由民主党総裁(第28代)
- 家族:妻・佳子さん、長女、次女の4人家族
石破茂さんは1957年に東京都で生まれましたが、翌年1958年に父・二朗さんが鳥取県知事に就任したことから、1歳の時に鳥取県へ移住しました。
1979年に慶應義塾大学を卒業後、三井銀行(現:三井住友銀行)に入行。
銀行員として7年間勤務した後、
当時は全国最年少の国会議員として大きな注目を集めました。

政治家としてのキャリアでは、
防衛庁長官(現:防衛大臣)
農林水産大臣
自由民主党幹事長
などの要職を歴任。
また、鉄道や軍事に関する深い知識から「鉄道オタク」「軍事オタク」としても親しまれています。

2024年9月に自由民主党総裁選で勝利し、同年10月1日に第102代内閣総理大臣に就任されました。
では、一体なぜ、石破茂さんの実家はお金持ちと言われているのでしょうか?
理由について、次で詳しく見ていきましょう。
【画像】石破茂の実家が裕福と言われる3つの理由!

①:父親・石破二朗が政界の重鎮だった
②:母方の実家・金森家が超名門一族
③:慶應義塾での一貫教育
これらの理由を詳しく検証してみましょう。
理由①:父親・石破二朗が政界の重鎮だった

石破茂さんの実家が裕福と言われる最大の理由は、父親である石破二朗さんの華麗な経歴にあります。
石破二朗さん(1908年-1981年)は、まさに昭和の政界エリートの代表的な存在でした。

・1908年(明治41年)7月29日生まれ
・1981年(昭和56年)9月16日没
・東京帝国大学法学部卒業
・戦前:内務省入省
・戦後:建設事務次官
・鳥取県知事(第39代、1958-1970年)
・参議院議員(2期)
・自治大臣兼国家公安委員会委員長(鈴木善幸内閣)
1908年に鳥取県大御門村(現在の八頭町)の農家に生まれた二朗さんは、苦学の末に東京帝国大学法学部を卒業。
戦前は内務省に入省し、戦後は建設省(現:国土交通省)で事務次官まで上り詰めました。

建設事務次官という職は、当時の霞が関では最高峰のポストの一つです。
昭和30年代の事務次官の給与は現在の価値で換算すると相当な高収入だったと考えられます。
1958年に建設事務次官を退任後、二朗さんは鳥取県知事選に出馬し当選。
その後、4期15年という長期間にわたって鳥取県知事を務めました。

知事としては「後進性の打破」をスローガンに、鳥取県の発展に力を注ぎました。
知事退任後は参議院議員に転身し、鈴木善幸内閣では自治大臣兼国家公安委員会委員長という重要閣僚も務められています。
このような華麗な経歴を持つ二朗さんの収入は、当然ながら一般的なサラリーマンとは比較にならないレベルだったでしょう。
官舎や知事公舎での暮らしに加え、政治家としての収入もあり、石破家の生活はとても安定していたと考えられます。
理由②:母方の実家・金森家が超名門一族

石破茂さんの母親・和子さんの実家である金森家は、まさに日本の近代史に名を刻む超名門一族でした。
・金森通倫(曾祖父):著名な宗教家、牧師、大河ドラマにも登場
・金森太郎(祖父):山形県知事、農商務
・内務官僚 ・和子(母親):元国語教師

なんと、NHK大河ドラマにも登場したことがある歴史上の人物なんです!
金森太郎さんは東京府(現在の東京都)出身で、農商務省(現在の農林水産省)や内務省で要職を歴任した後、山形県知事に就任しました。

当時の東北地方は大凶作に見舞われることが多く、農業政策のエキスパートとしての手腕が買われての登用だったと考えられます。
石破茂さんの母親・和子さんは、この金森太郎さんの長女として生まれました。
・毎晩1時間程度の偉人伝朗読
・厳格な家庭教育
・学問への強いこだわり
石破茂さんが小学校時代、母親の和子さんは毎晩1時間程度、息子に偉人伝を朗読させていたそうです。

これは教育熱心な母親ならではの教育方針ですね。
金森家は代々学者や宗教家、政治家を輩出する知的エリート一族でした。
そうした環境の中で育った和子さんが石破茂さんの教育に注いだ熱意は、後の石破茂さんの人柄や学びに向かう姿勢に大きな影響を与えたに違いありません。
母方の実家がこれほどの名門だったということは、石破茂さんが「血筋の良さ」を感じさせる理由の一つと言えるでしょう。
理由③:慶應義塾での一貫教育

石破茂さんは中学校卒業後、慶應義塾高等学校に進学しています。
鳥取県という地方出身でありながら、東京の名門私立校を選択したということは注目すべき点です。
慶應義塾高等学校は当時から学費が高額で、さらに東京で一人暮らしをするとなると相当な費用がかかったはずです。
寮費、生活費、交通費などを含めると、現在の金額に換算して年間数百万円は必要だったでしょう。

また、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部へと進学していることから、私立の一貫教育を受けさせることができる経済力があったということがわかります。
このような教育環境を整えることができたのも、実家の経済力があってこそだったと思われます。
さらに、大学を卒業した後、当時の都市銀行(現在のメガバンク)である三井銀行に就職していることからも、学歴や家庭環境の恵まれた面がうかがえます。
当時の都市銀行は就職が非常に困難で、学歴だけでなく家庭環境も重要視されていました。

これらの教育費用を推測してみると、以下のようになります。
・慶應義塾高等学校の学費:年間約200-300万円(現在価値) ・東京での生活費:年間約150-200万円 ・大学の学費:年間約100-150万円 ・その他教材費・交通費等:年間約50万円
このように、地方出身でありながら東京で私立の一貫教育を受けられたことは、実家に十分な経済的余裕があったことを示す大きな証拠と言えるでしょう。
石破茂と家族のエピソードを紹介!

家族のエピソードを紹介します!
石破茂と両親の深い絆がスゴイ!

石破茂さんにとって、父・二朗さんは深く尊敬し、強く憧れる存在でした。
石破茂さんは常に
「俺は父を超えることができない」
と口にしていたそうで、父親に対して強いファザー・コンプレックスを抱いていたと言われています。
父・二朗さんは石破茂さんが48歳の時の子どもで、年齢差もあり「雲の上の人」という感覚が強かったそうです。

二朗さんは非常に厳格な父親で、
「知事の子どもとして常に1番であること」
を求めていました。
特に印象深いのは、父・二朗さんが石破茂さんに吉村昭さんの小説「零式戦闘機」と「戦艦武蔵」を渡した時のエピソードです。

「これを読みなさい」と言われた石破茂さんは、父から何も説明されませんでしたが、「お前はお前で、自分でこれを読んで考えてみろ」というメッセージを感じ取ったそうです。
これが後の石破茂さんの軍事への関心につながったのかもしれません。
一方、母・和子さんとの関係はより温かいものでした。
国語教師だった和子さんは非常に教育熱心で、石破茂さんが小学生の頃は毎晩1時間ほど偉人伝の朗読をさせていました。
これは当時の教育ママの典型的な行動でしたが、石破茂さんの読書習慣や国語力の土台を作ったと言えるでしょう。

和子さんは厳格な父・二朗さんと息子の間に立つ調整役でもありました。
中学受験の際には、
「1番で入学できたら戦艦大和のプラモデルを買ってあげる」
という温かいご褒美を用意し、石破茂さんのやる気を引き出したのだとか。
この母親の配慮が、石破茂さんの勉強への意欲を引き出したのでしょう。
2人の姉との興味深いエピソード!

上の姉は英語教師、下の姉は歴史教師という教育者一家でした。
姉たちとのエピソードで特に印象的なのは、夏休みの読書感想文を巡る出来事です。
石破茂さんが書いた読書感想文を、当時大学生だった姉に見せたところ
「こんなものは読書感想文ではない!」
と厳しく叱られ、泣きそうになったそうです。

この出来事について石破茂さんは後に
「我が家の女性たちは皆教員資格を持っており、実際母は国語、上の姉は英語、下の姉は歴史の教師でした」
と振り返っています。
しかし、この厳しさは愛情の裏返しでもありました。

姉たちは末っ子の弟の将来を真剣に考え、より良い人間になってほしいという思いから厳しく指導していたのでしょう。
また、石破茂さんは幼い頃からプラモデル作りが大好きでした。
特に戦艦や軍用機のプラモデルに夢中になっていたそうですが、これも家族の理解と支援があったからこそ続けることができたのだと思います。
当時のプラモデルは決して安いものではありませんでしたから、家族の経済的な支援が必要でした。
石破家でのルールや習慣はある?

最も印象的な石破家の習慣は、母親の和子さんが課した「毎晩1時間の偉人伝朗読」でした。
これは石破茂さんが小学生から中学生にかけて続けられていた習慣です。
朗読する偉人伝の内容は多岐にわたっていたのだとか。
・坂本龍馬:明治維新の立役者
・西郷隆盛:薩摩藩の英雄
・野口英世:世界的な医学者
・二宮尊徳:江戸時代の農政家
・福沢諭吉:教育者・思想家
これらの偉人の生涯を学ぶことで、石破茂さんは「人はどう生きるべきか」を考える習慣を身につけたとのこと。

特に、困難に立ち向かう勇気や、社会のために尽くす志の大切さを学んだそうです。
そして石破家では、食事の時間は家族全員が集まることが原則でした。
食事中は、その日の出来事や学校での学びについて話し合うことが習慣でした。
石破茂さんは
「父から政治の話を聞くのが楽しみだった」
と振り返っています。

また、食事のマナーについても厳格でした。
政治家の家庭として、いつ来客があっても恥ずかしくないような作法を身につけることが求められていたようですね。
石破家では「勉強は当たり前」という雰囲気がありました。
ただし、ガミガミと叱られるのではなく、自然と学習する環境が整えられていたんです。

特に母親の和子さんは元国語教師だったこともあり、息子の文章力や表現力の向上に力を入れていました。
石破茂さんの現在の話し上手な力は、この時期に養われたものだと考えられます。
これらの家族のエピソードを見ると、石破茂さんが政治家として成功した背景には、温かくも厳格な家族の支えがあったことがよくわかります。
経済的に恵まれた環境だけでなく、教育を重視し、息子の成長を真剣に考える家族の愛情が、現在の石破茂さんを形作ったのでしょう。

編集者の感想

この記事を書きながら、石破茂さんの実家について調べていて感じたのは、やはり「恵まれた環境で育った方だな」ということでした。
父親が建設事務次官から鳥取県知事、そして自治大臣まで務めた超エリート、母方の祖父も県知事経験者という政治家一族で、母親も姉2人も教員という教育者一家です。
地方出身でありながら慶應義塾で一貫教育を受けさせてもらえるなんて、相当な経済力がないと無理ですよね。
でも同時に、そんな恵まれた環境にあぐらをかくことなく、しっかりと努力を重ねてこられた石破茂さんもすごいと思います。
全国最年少で衆議院議員に当選し、長年政治家として活動を続け、ついには総理大臣まで上り詰めたのですから。
きっとプレッシャーも相当なものだったでしょうね。
まとめ
今回の記事は、
・石破茂の実家はお金持ち?
・石破茂の実家が裕福な家庭と言われる3つの理由!
・石破茂の家族のエピソードを紹介!
こちらの内容でまとめました。
確かに石破茂さんは恵まれた環境で育ちましたが、それは単純な「お金持ち」というより、代々続く「知的エリート一族」としての裕福さでした。
現在も石破茂さんは家族を大切にされており、妻の佳子さんや2人の娘さんとの温かい関係を築いていらっしゃいます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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