「えなりかずき」という名前を聞いて、『渡る世間は鬼ばかり』の小さな眞くんを思い出す方も多いのではないでしょうか。
3歳でテレビデビューを果たし、幼いころから大人顔負けの長ゼリフをこなして、日本全国の視聴者を驚かせた”天才子役”です。
子役として長年活躍してきたえなりかずきさんですが、「実家が裕福なのでは?」という声が昔からよく聞かれます。
では、実際のところはどうなのでしょうか。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
えなりかずきの実家はお金持ち?
えなりかずきさんですが、ネット上で
「実家は裕福なのでは?」
との声が広がっています。
えなりかずきさんの実家をインターネット検索してみると、このように「えなりかずき 実家 お金持ち」というキーワードまで出てきます。

これは、えなりかずきさんの実家について「お金持ち」というイメージを持つ方が多いということでしょう!
ここでえなりかずきさんのプロフィールを見ていきましょう。
- 本名:江成和己(えなり かずき)
- 生年月日:1984年11月9日
- 年齢:41歳(2026年3月現在)
- 出身地:東京都世田谷区
- 血液型:O型
- 身長:167cm
- 職業:俳優・タレント・司会者
- 所属事務所:JDS(個人事務所)
えなりかずきさんの芸能界デビューは、なんと3歳のとき。
両親が「集団生活に慣れさせたい」という思いから劇団に入れたことがきっかけでした。
その後、1990年にTBSドラマ「ホットドッグ」でドラマデビューを果たし、同年に「渡る世間は鬼ばかり」への出演もスタート。
「渡る世間は鬼ばかり」は、橋田壽賀子さん脚本・石井ふく子さんプロデュースという豪華な作品で、泉ピン子さん演じる岡倉五月の長男・小島眞を演じたえなりかずきさんは、「橋田ファミリー」の一員として一躍茶の間の顔に。
俳優業以外の活躍も印象的で、2001年にはつんく♂さんのプロデュースで「おいらに惚れちゃ怪我するぜ!」を発売し、歌手としても挑戦。
その後も司会やバラエティ番組など幅広い分野で活動を続けており、俳優・タレント・司会者の肩書きすべてが本物、という多才な芸能人です。
では、一体なぜ、えなりかずきさんの実家はお金持ちと言われているのでしょうか?
理由について、次で詳しく見ていきましょう。
えなりかずきの実家が裕福と言われる3つの理由!
①:父親が音楽からビジネスへ転身したマルチな経歴を持つ
②:えなりかずきさん自身が子役として莫大な収入を得ていた
③:東京都世田谷区在住+複数の習い事ができた教育環境
これらの理由を詳しく検証してみましょう。
理由①:父親が音楽からビジネスへ転身したマルチな経歴を持つ

えなりかずきさんの父親・江成正人さんは、なかなかユニークな経歴の持ち主です。
打楽器奏者として一定の実力を持ち、バンドのマネージャーも兼任していたというのですから、音楽業界ではそれなりの立場にいた方だったと思われます。
その父親が、ある時期からコンピューターソフトの開発に転身し、「JDS(ジェイディーエス)」という会社を設立します。
野球ゲームをはじめとしたパソコンゲームの開発を手がけていた会社で、1990年代のパソコンゲーム市場に参入したわけです。

えなりかずきさん本人が、
「物心ついたころ、父親はコンピューターソフトを作っていて、結構売れていた」
と語っているというエピソードが残っており、一定の収入を得ていたことがうかがえます。
その波に乗ってソフトを手がけていたというのは、父親がかなり時代を読む力のある人物だったことを感じさせます。
その後、JDSはえなりかずきさんと弟・江成正元さんが所属する芸能事務所としての業務に移行しています。
父親が事務所を経営し、母親がマネージャーとして動くという、完全な家族経営体制を築きました。

ただし、すべて順風満帆だったわけでもなく、一時期は父親が独立した事業がうまくいかず、家庭に数千万円規模の借金ができたという話も伝わっています。
それをえなりかずきさんが子役として稼いだ収入で家族を支えたというエピソードは、後述の「理由②」とも深く関わってきます。
いずれにせよ、父親が音楽家→ソフト開発者→事務所社長と変化し続けながら家族を経済的に支えてきた姿は、「一般的な会社員家庭」とは明らかに異なる環境だったといえそうです。
理由②:えなりかずきさん自身が子役として莫大な収入を得ていた

「実家が裕福」という話になると、えなりかずきさんの場合は、生まれた家の豊かさというよりも、本人が稼いだお金が家庭に入っていたという点が大きなポイントになります。
えなりかずきさんが子役のトップとして活躍していた1990年代、その収入はどれくらいだったのでしょうか。
子役の出演料について一般的な相場を見てみると、次のようになっています。
- 一般的な子役のドラマ出演:1本あたり数万〜30万円程度
- 人気番組のメインキャスト級:1本あたり30〜50万円以上になることも
- CMメイン出演:1本あたり10〜30万円程度
- 年間を通じた人気子役の推定年収:数千万〜数億円規模という事例も

えなりかずきさんは、『渡る世間は鬼ばかり』という長寿ドラマに定期的にレギュラー出演しながら、他のドラマやバラエティ、CMにも多数出演していました。
実際、えなりかずきさんの母親が
「かずきが稼いでくれているから家族が生活できる」
と涙ながらに語っていたというエピソードが伝えられており、家計においてえなりかずきさんの収入が非常に重要な役割を果たしていたことは間違いないようです。
普通の小学生が習い事に通っている年齢のころから、えなりかずきさんは自分の仕事で家族全員の暮らしを支えていたわけですから。
こうした収入があったからこそ、世田谷区での暮らしが続けられたり、弟の江成正元さんも俳優活動ができたりと、家族全体の生活を豊かに保つことが可能だったのでしょう。
これは紛れもなく「経済的な裕福さ」と呼べる状況だったと思います。
理由③:東京都世田谷区在住+複数の習い事ができた教育環境

えなりかずきさんが生まれ育った東京都世田谷区は、日本でも有数の高級住宅地として知られているエリアです。
世田谷区の住環境をざっくり言うと、一戸建ての購入平均価格は8,000万円〜1億円超え、賃貸でも2LDKで月20〜30万円以上が珍しくない水準。
そんな場所に暮らしているだけで、ある程度の経済力があることは想像がつきますよね。

さらに注目したいのが、えなりかずきさんが幼少期から複数の習い事をしていたという点です。
えなりかずきさんが幼少期に取り組んでいた習い事には、以下のものがあります。
- ゴルフ:3歳から父親の指導でスタート。大学でもゴルフ部に所属。ベストスコア76という腕前
- ピアノ・キーボード:現在も特技として挙げられており、三味線も弾きこなす
- 歌:母親が元CM歌手ということもあり、歌のレッスンも
- 空手:小学校時代には黒帯を取得するほど本格的に取り組んでいた
これだけ多くの習い事を幼少期に経験させること自体、かなりの投資が必要なことがわかりますよね。
一般的な習い事の費用相場を見てみましょう。
- ピアノ(個人教室):5,000〜10,000円程度
- ピアノ(大手音楽教室):7,000〜13,000円程度
- 空手・武道系:5,000〜8,000円程度
- 歌・ボイストレーニング(子ども向け):8,000〜15,000円程度
- ゴルフ(スクール・ジュニアコース):10,000〜20,000円程度
年間にすれば36万〜60万円以上の習い事投資です。

ゴルフコースでのラウンド費用も1回1〜2万円程度かかります。
えなりかずきさんのゴルフへの取り組みは、大人になってからも本格的なもので、後に「週刊ゴルフダイジェスト」にコラムを隔週連載するほどの腕前に成長しています。
既製品のクラブを分解して自分専用に組み直したり、クラブのしなりを測定する業務用機器を所有したりと、そのこだわりようは相当なものです。
こうした多彩な習い事ができた環境は、経済的なゆとりがなければ難しかったはずです。
小さい頃からさまざまな習い事を経験できたのは、
「どの分野でも早いうちからプロとしての土台を身につけさせたい」
という父親の考えがあったからです。
芸能の仕事だけでなく、スポーツ・音楽・武道まで幅広い素養を身につけさせた家庭は、やはり「それだけの時間と費用をかけられる余裕があった」と感じますよね。
えなりかずきの父親は社長で母親はマネージャー!

えなりかずきさんと両親の関係は、単なる親子という枠を超えた”チーム”に近い関係性だったといえます。
父親との印象的なエピソードとして伝わっているのが、えなりかずきさんが8歳のころの話です。
当時、えなりかずきさんはかなりのあがり性で、人前に出ると緊張してしまう一面があったそうです。
そこで父親がとった対策が、「駅前でチョー・ヨンピルの歌を歌ってこい」というもの。

これはかなり豪快な教育法ですよね。
でも、この経験があったからこそ、えなりかずきさんはテレビカメラの前でも物怖じせず、長いセリフも堂々とこなせる表現力を身につけられたのかもしれません。
ゴルフを3歳から教え込んだのも父親です。

「プロになるには3歳から」という信条を持つ父親は、ゴルフだけでなく、演技もスポーツも早期から本気で向き合わせる教育方針を貫いていました。
そんな厳しさの一方で、えなりかずきさんが「車好き」になったのも父親の影響だといわれています。
車の知識が豊富な父親に憧れ、えなりかずきさん自身も車に強い関心を持つようになったとのことです。
子役デビュー当初から、母親が仕事現場への送り迎えを担い、えなりかずきさんの活動を支えてきたと考えられます。

えなりかずきさん自身も、バラエティ番組などで両親への感謝の気持ちを語ることがあり、
「3歳で劇団に入れてくれたことが今の自分の原点」
だということを話しています。
両親が芸能事務所を経営・運営しながら、子どもを応援し続けた家族のあり方は、単純に「裕福かどうか」とは別の意味で、えなりかずきさんの人生を豊かにしてきたといえそうです。
えなりかずきの弟も元子役だった!

弟の正元さんも一時期芸能活動をしており、えなりかずきさんと声や話し方がそっくりだとか。
NHKの大河ドラマ『翔ぶが如く』(1990年)やNHK朝ドラ『さくら』(2002年)などに出演し、兄と同じ舞台に立ったこともありました。
兄弟共演のエピソードとして特に印象的なのが、NHK番組『コメディーお江戸でござる』への出演です。
えなりかずきさんが準レギュラーとして出演していた番組に、弟の正元さんも続いて出演。
俳優のえなりかずきさんは #ブギウギ でピアニストの二村を演じているけれど、意外にも朝ドラ初出演。既視感があったのは、午後に放送されている #朝ドラさくら に弟の江成正元さんが沼田大介役で出ていたからか。弟に先を越されて悔しかったとのこと。ピアノは弾けるらしい。https://t.co/lZEvUzSW9B pic.twitter.com/O8ZZtWfehl
— 北川 宣浩 (@kitagawa0216) December 28, 2023
さらに別の回では、えなりかずきさんと正元さんが、お笑いコンビ「いつもここから」のネタ真似を一緒に披露したこともあったといいます。
真面目なドラマ出演だけでなく、こういったお笑いのネタを兄弟でやってのけるというのも、家族の雰囲気の良さを感じさせますよね。
正元さんはその後、活動をしぼっていったようで、現在は芸能活動をしていないとも言われています。
兄のえなりかずきさんが業界の第一線で走り続ける一方で、弟は自分のペースで違う道を選んだのかもしれません。
それはそれで、二人らしい選択という気がします。
えなり家のルールや習慣はある?

えなりかずきさんの実家には、ほかの家庭とはちょっと違うユニークなルールや習慣があったといいます。
えなりかずきさんの家では、何か大切なことがあるたびに家族4人が集まって話し合う「家族会議」が頻繁に開かれていたとのこと。
「渡る世間は鬼ばかり」の出演を続けるかどうかも、この家族会議で決まりました。
一家の重要事項は全員で話し合って決める、という方針が根づいていたんですね。
えなりかずきさんいわく、
「家族全員が喜怒哀楽の激しい性格で、ケンカになると容赦なく言いたいことを言い合う」
のだとか。

一見すると大変そうですが、裏を返せば「本音で向き合える家族関係」ということでもありますよね。
感情を隠さない関係性が、家族の結束を強めていたのかもしれません。
粗大ゴミの捨て場から家電を拾ってきて、自分たちで修理して使うというスタイルで暮らしていた時期があったそうです。

そして礼儀や言葉遣いについては、両親がかなり厳しく指導していたとも伝わっています。
目上の方への接し方、丁寧な言葉遣い、現場でのマナーなど、日常のなかで繰り返し教え込まれていたようです。
これがえなりかずきさんの現場での信頼感や、長年にわたって芸能界で愛され続けている理由のひとつになっているのかもしれません。
祖母の家に向かう途中で警察に保護されたというオチも含めて、何とも愛嬌のあるエピソードですよね。
こんな正義感の強さと素直さも、ご両親のしっかりした家庭教育あってこそなのかもしれません。
編集者の感想

えなりかずきさんの実家について調べてみると、「裕福な家庭」という言葉がすっきりハマるわけではないけれど、確かに”特別な環境”があったことが伝わってきました。
父親のビジネスマインド、母親のマネジメント、そして何より幼いころから家族全体を支えるほどの稼ぎを生み出してきたえなりかずきさん自身の力。
倹約しながらも、教育や習い事には惜しみなく投資していたご家族の姿勢は、お金の多い少ないよりもむしろ「家族でえなりかずきさんの才能を育てようとした熱量」の大きさが印象に残りました。
芸能界のトップで活躍できた背景には、こんな家族の存在があったのですね。
まとめ
今回の記事は、
・えなりかずきの実家はお金持ち?
・えなりかずきの実家が裕福な家庭と言われる3つの理由!
・えなりかずきの家族のエピソードを紹介!
こちらの内容でまとめました。
えなりかずきさんの実家が裕福と言われる3つの理由は、①父親がマルチな経歴を持つこと、②えなりかずきさん自身が子役時代から莫大な収入を得て家族を支えていたこと、③東京都世田谷区という高級住宅地に暮らし、複数の習い事ができた恵まれた教育環境があったこと、の3点でした。
もちろん、すべてが順風満帆だったわけではありません。
父親の事業が難しくなった時期には家庭に大きな借金ができ、それをまだ幼いえなりかずきさんが支えたという現実もありました。
「豪邸に育ったお坊ちゃん」というよりは、「家族みんなで一体となって、えなりかずきという才能を育て、支え合ってきた家族」という表現が、より正確なのかもしれません。
えなりかずきさんが今も第一線で活動し続けられているのは、幼いころからの積み重ねと、家族の深い絆があってこそだと感じますよね。
最後までお読みいただきありがとうございました。


コメント